わたしは、ここが好きです
そこは、
まっすぐに伸びたライ麦畑、見渡す限り緑一色の涙が出るほど美しい村。
そして、
その日も快晴で、いつも通り風が空高く吹いていた。
子どもたちは、家の前で元気に遊んでいたし、 村人には、村役場から何も知らされていなかった。
その少女は、家族と原発からわずか数十キロほどしか離れていない村で、 少女の親戚の人たちと近くで暮らしていた。
村人たちは、その後2週間、同じように何も知らず、牛の乳をしぼり、 森や畑で取れたものを食卓に並べ、生活していた。
ただ、いつもと違うこともあった。
突然、
多くの兵士たちが各地から集結すると、
連日おびただしい数の軍用車やヘリコプターが激しく行き交っていた。
そして、
その日から、大変つらく苦労の多い不便な日々が始まった。
現在の地に移住するまで、家族や親戚はバラバラに、 あちこちのキャンプや保養所を転々とすることになる。
慣れ親しんだ土地を離れ新しい場所で暮らすことは、 自給自足で生きてきた者にとって馴染めない生活だった。
逃れられない。
移住した先も軽度だが、汚染されている。
その後、
少女は、市内の病院で検査を受けることになる。
14歳の時、
少女は定期検査で甲状腺にしこりが見つかり手術。
事故の翌年少女が6歳の時、検診によって甲状腺に異常が判明、 それ以後、年に一度の定期検診がおこなわれた。
8年後、少女が14歳の時に定期健診の超音波検査でしこりが発見され、 そのため今度は短期間ごとに精密検査がおこなわれ、最後に手術となった。
当日は笑顔で、必死に泣き声をこらえていたが、 手術台に上がるその時には、一筋の涙がこぼれた。
不幸なことに少女の弟やいとこにも異常が見つかる。
術後の経過はあまりよくなく、体調も思わしくない。
そんなある日、少女は両親がこっそり隠しておいた病院からの診断書を読んでしまう。
自分が、がんであることを知り、 あまりのショックに、「もう長く生きることができない」
少女は悲嘆に暮れ、来る日も来る日も泣き明かす、 苦しみの日々がつづく。
「あの時、外に出さなければ」
母親は、娘のあまりの嘆きようになす術もなかった。
後悔と共に、時間だけが経っていくように思われた。
母親は、言う。
「娘は、たいへん心のやさしい子でわたしたちをよく助け、学業成績もとってもいいんですよ。」
さらに、自らも病気がちな母親は、
「最近になって、ようやく少しずつ元気を取り戻してきたんです」と。
少女は、気丈な笑顔で遠くを見つめながら、はっきりした声で言う。
「わたしは、ここが好きです」
少女はここで結婚し、子どもを産み育て一生を送るのだろう。
一生涯、甲状腺ホルモン剤を服用しながら。
後日、少女は、「チェルノブイリ身体障害者」に認定された。
今後一切の治療費は掛からないという。
なんと悲しい響きか。
「チェルノブイリ身体障害者」とは、
少女は、この現実を受け入れて生きていく。